【にいがた にしかん 食の文化部】#1『けんさ焼き』イベントレポート
2023.10.9(祝月)新潟県にしかんエリア(旧 西蒲原郡)の食文化を共有し繋いでいくことを目的とする活動「にいがた にしかん 食の文化部」 第一回目となる「けんさ焼き」づくりを開催しました。
今回、定員20名に対して午前・午後の回あわせて32名(!)からご参加いただき、なかでも子供たちの参加が多く、親戚で集まって一緒につくって食べたような楽しく賑やかな時間となりました。
「共に調理する時間の中に、風土の食も思い出として残るように」という思いがあったので、親子参加は本当に嬉しかったです。
【プログラム】
・「けんさ焼き」のルーツ
・にしかん編集室 × 食の担い手 阿部まさ子さん座談会「食を継いでいくこと/にしかんの郷土料理「けんさ焼き」が食べられていた風景」
・「けんさ焼き」を皆さんで調理して実食
「けんさ焼き(けんさん焼き)」のルーツ
「けんさ焼き」は、楕円に握ったご飯に生姜味噌やエゴマ味噌、甘味噌などを塗りこんがり焼き色がつくまで焼いた握り飯のこと。
けんさ焼きは新潟県内広く主に中越地域(新潟県は上越・中越・下越の大きく3地域に分かれています)から広がり、ここ新潟市「にしかん」エリアでも冬の郷土食として今も食べられます。
その由来は様々ありますが、越後(新潟県)を根拠地として戦国の世に割拠した上杉謙信ゆかりの食であるという説があります。
上杉の軍勢が遠征するときの兵糧として、剣先に強飯(こわいい)をつき刺して焼いて食べたところから「剣先焼き」だとか、正月に仏様に備えたものをその後焼いて食べたから「献歳焼き」ともいわれていますが、定説はありません。
※強飯(こわいい/玄米や雑穀をせいろで蒸したもの)
※屯食(とんじき/強飯をぎゅっと握り楕円形にしたもの)
では上杉謙信と新潟の郷土食「けんさ焼き」とのつながりは何なのか。。。
平安時代にはおにぎりの原型となった屯食というものがすでにあったそうで、それは後々兵士や武士の携帯食として江戸時代にも広がっていきます。
ということは、その間の時代である戦国時代にも持ち運べる屯食はあったのでは?と推測できます。
そして謙信は倹約家だったとの記録があり、日常では質素倹約、その反面、戦の食事には力を入れたと言われています。
兵士のやる気にもつながる「兵糧食」は特に大事にしていたようで、上杉家の軍記『北越軍談』には、兵糧食や籠城の際の食は米や味噌はもちろん、糠、ワラ、木の実や草木の根、芋の茎に及ぶまで持ち込み、その調理方法も記されています。
と、ここまでの流れを振り返ると「剣先に強飯をつき刺して焼いて食べた」という説も、厳しい戦場でも温かく美味しいご飯を食せるように硬くなった雑穀握りに味噌を塗り焼いていたのではと納得できます。より良く食べよう という意識があったのかもしれません。
調理法を教わるだけではない“つなぐ”食文化
会場としてお借りしたのはにしかんエリアで兼業農業をされている大瀧さんのご自宅。
今回、けんさ焼きのご飯に使わせていただいた新米はご自宅の裏の田んぼで刈り取ったばかりの新米コシヒカリ!と聞いて、すでにわくわくしてきます。
食の文化部では、生産者からも登場してもらうスタイル。土地を知って、どんなものが栽培されて、文化として食べられてきたのかを共有していきます。
「けんさ焼き」食の担い手としてお迎えしたのは、にしかんエリア岩室在住の阿部マサ子さん。まずはマサ子さんを囲み座談会からスタートしました。
マサ子さんは地元の小学校でも郷土料理の伝承活動をしている
参加してくれた方の年代は保育園のお子さまから70代まで幅広く、編集室としてまずは皆さんに質問からスタート!
『けんさ焼きを食べたことがある方〜』ほとんどの方が挙手。
『では、ご自分で、もしくは誰かと一緒に作ったことがある方〜』1/3くらい。
『作り方をご存知の方〜』2人。
ほとんどの参加者が食べたことがあり、祖母がおやつに作ってくれて美味しかった。お正月によく食べていた。といった思い出話も出てきました。
まずは「美味しかった」という記憶があることがとても大切。そして記憶から料理のイメージは残りますね。
マサ子さんは、新潟県農村地域生活アドバイザーや新潟県産米 PR ユニ ット新潟ライスガールズとしても活躍していますが、食文化や郷土料理を継承しようとするその原動力はどこからくるのでしょうか?
「きっかけは、昭和50年代に旧岩室村で郷土料理を復興させようという動きがあって、地域の女性たちで集まり作り方を習ったことが始まりです。その時に「いろんな人といろんな経験をさせてもらえて楽しい」「これからも郷土の食文化や農業の魅力を伝えていきたい」と感じて地域の農業と食活動の普及活動を続けてきました。そう思うともう50年活動しています。食の文化部は料理だけじゃなくていろいろな背景を知れるのがいいですね、よくおばあさんが言う『加減』とか『塩梅』とかわからないじゃない」と笑う。
「ただ、最近の若い人は昔の私たちとは生活スタイルが違うから同じように(料理教室を)やってもタイミングも手間もかかるし、それでは郷土料理は継承されませんよね。時代に合わせながら、地域の郷土料理の背景や美味しさを体験して持ち帰ってほしいと思います。」
けんさ焼きが食べられてきた背景に皆さん耳を傾ける
記憶の中に食文化は残る。というところからも、食の担い手であるマサ子さんから「けんさ焼き」の思い出を話していただきました。
「昔はどこの家も農家だったもんで米も味噌も自分のところで全部作って一年中食べれるくらいの量を仕込んでたし、各家には囲炉裏があったからよくそこで焼いてたの。けんさ焼きを食べるのは正月や小正月の時、正月って夕餉の時間が早いでしょ?だから夜になってちょっと小腹がすいてきた時によく食べました。大人は酒のあとの〆ご飯になるしね。夕餉の時に握っておいたご飯を、ヨロブチ(囲炉裏)のアミタワシ(三本五徳)で焼くうちと串にさして焼くうちとあってうちはアミタワシで焼いてました。生姜味噌の生姜をすり鉢でするのは子供の仕事でね。懐かしいわ〜」と、マサ子さん。
途中、参加者の中から『うちも正月によく食べてました。最初けんさ焼きで食べて、その後お茶漬けみたいにして食べた覚えがあります。』と。
編集室の自分も(あ、私もお茶漬けで食べた記憶あります!)と内心思いつつ、、
「そうそう、けんさ焼きって最後に煎茶やお湯をかけてお茶漬けみたいにしても食べますね。ちょっと焦げたところが香ばしくてまた美味しいですよねぇ。同じように握り飯に生味噌を塗った「味噌まんま」は夕飯前にお腹が減った時、よくおやつがわりに食べていました。今日は、けんさ焼きとお茶漬けと味噌まんまも食べれるそうなのでこの後一緒につくりましょう。」
けんさ焼きは、もともと正月の年始よびの夜食に出される即席料理だったそう。
70、80年前は夕食の残りをおにぎりにして、こんがり焼き上げた上に、焼き味噌に生姜、刻みネギをかけ、熱湯を注いで食べた様子が次第に煎茶や出汁をかけたりと変わっていったと思われます。
ちなみに編集室が事前に別の方から聞いていた、「稲刈り作業の労い飯として振る舞われていた」という話もお伺いしてみると、
「稲刈りの時に食べてる集落もありましたよ、何十個も握るもんだから昔は女性たちの大仕事だったみたいだね」
昔は家族、集落の村人総出で村中の稲刈りを行いました。労働を労うために集落の長から少しの祝膳が用意されたそうです。昔は味噌を大量に仕込んでおけるというのは、その家の豊かさを見て取れるステータスだったと言われています。
炊飯器が無い時代、残って冷たくなったご飯を美味しく食べれるよう工夫した庶民的なご馳走だったのですね。
そして座談会のあとは、刈り上げたばかりの新米コシヒカリを提供してくださった農家の大瀧さんから会場となったにしかん天竺堂(旧西蒲原郡天竺堂)という場所の成り立ちについてお話しいただきました。
この地は昔「鎧潟」という大きな潟があったそう。潟を埋め立てた土地の特徴や米の旨さなど生産者から聞いて紐解くことも食文化を知るうえで楽しい時間です。
この地の氏神様が見守るなかで昔から稲作は続いてきた
生姜味噌が香ばしい「けんさ焼き」
本日つくるのは、けんさ焼き・生味噌まんま・お茶漬け用のお出汁です。
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■ けんさ焼き(4個分)★☆☆☆☆
・白飯 400g(焼く時に崩れるため柔らかすぎないほうが良い)
(生姜味噌)
・麹味噌 大さじ3(味噌の種類は米味噌ならなんでも大丈夫)
・生姜 一かけ
・味醂 大さじ2
・酒 少々
・上白糖 大さじ1
1.生姜味噌をつくる
生姜の皮をむき、擦りおろしておく。その際、擦りおろした生姜を包丁でたたいて、繊維も切っておく。お味噌はマサ子さんが昨年仕込んだ麹味噌を使いましたが、スーパーにある麹味噌でもOK。麹味噌に生姜以外の材料を混ぜあわせ、生姜の量は好みで調節しながら入れていく(甘味噌を作りたければ、生姜は入れずに砂糖を増やす)
阿部さん自家製の麹味噌はすごく美味しかった!子供たちも興味津々
2.ご飯を握る
白飯をボールなどに移して少し水分を飛ばし、粗熱が飛んだら楕円形に握っていく。その際、後で崩れないようにしっかりと握る。
本日の主役!新米コシヒカリ炊けました!
自分の手で「このくらい」の感覚を感じる
こうやって食べるの美味しいよね
「こんげ感じで十分十分」と担い手にすぐ聞ける距離感
3.握り飯を焼く
握り飯の両面を焼き色がつくまで焼いていく(ご自宅ではフライパンにシートを敷くとくっつきにくくなり◎)。香ばしい香りがしてきたら、生姜味噌を握り飯の片面にだけぬって味噌の部分も焼き色をつける。
ご飯が握れたら焼いていきますよ!
焼けたら生姜味噌をたっぷり塗ってまた焼いていく
4.味噌まんまと茶漬け用出汁の作り方
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■ 生味噌おにぎり(4個分)★☆☆☆☆
・白飯 400g(温かいご飯が良いです)
・麹味噌 400g
握り飯に生味噌(そのままのお味噌)を全体に塗っていく。たくさん塗るとしょっぱくなるのでほどよい加減(うっすら下のご飯が見える感じ)で塗り、最後に手でやわらかく包んで握りご飯の温度で味噌をなじませていくようなイメージ。握りたて熱々で食べるのが美味しいです
■ 茶漬けのお出汁
今回はお出汁でしたが、煎茶やお湯だけでも味噌が香ばしくて美味しいです。
・ほうじ茶 200ml
・かつお節のお出汁 100ml
かつお節や顆粒出汁を加えお出汁を作り、煮出しておいたほうじ茶を合わせる。お椀に入れたけんさ焼きの上に熱々のお出汁をかけて茶漬けのように食べます
茶漬け用の出汁(左)と生味噌おにぎり(中)生姜味噌のけんさ焼き(右)
さぁ!けんさ焼きも焼き上がりました、試食タイムです!
これが正解の食べ方
「今年最後の枝豆」と出してくれた大瀧さんの枝豆と阿部さんが栽培したもち米でつくった固餅
自家製の胡瓜の漬物と大根のたまり漬け。美味しかった
美味しいけんさ焼きと参加者同士の会話で楽しい時間
最後に
今回、最後に皆さんにアンケートをお願いしました。その中に、「(郷土料理は)時代や環境によって無くなったり、また変化していくものだと思うので、無理やり残そうとするのならば違和感を感じます。無理なく残していければ良いですね」と。
そうなんです。作り手が減少した理由もそこにある気がします。
私たちが土地の料理をつくったり食べることをなんとなく「特別」(非日常のような)と感じる理由は、料理を作ること(作り続けること)への難しさがどこかで生じて(材料不足やつくる手間、味や美味しさに対しての感覚・時代の変化など)そういったものがズレとなって料理に触れる機会が減っているのだとしたら、“無理なく”というのはその時代毎にアップデートしていきつつ後世に残していくヒントになるかもしれません。
レシピは地域・家庭によって少しずつ違います。ご近所で同じ料理をつくっても、つくる人によって味が違うのはあたりまえ。
なのでレシピを忠実に再現することが全てではないですよね。
時代やその時の環境に合わせた少しの変化も大切。そこに紐付く土地の風土や郷土料理の面白さを、私たち《にしかんずかん編集室》が皆さんとシェアできる場をこれからもつくっていきたいと思います。